和菓子屋さんと洋菓子屋さん。
2つの顔を持つ愛媛県松山市の薄墨羊羹
江戸時代、武士の嗜みの1つであった茶の湯。
そこには和菓子がつきものであったことから、武士が多く住む城下町には和菓子屋や和菓子職人が多く集まったと言われています。
今もなお天守閣が現存する松山城を持つ愛媛県松山市も、数多くの老舗和菓子屋が軒を連ねます。
今回はその1つである株式会社薄墨羊羹の社長、中野恵太さんに取材をしました。
愛媛県松山市の老舗和菓子店、薄墨羊羹。 創業は今から約150年前の1874年(明治7年)。
しかし、戦争による空襲で史料を焼失してしまったことから、正確な歴史は不明となっており、残った史料から江戸時代後期には和菓子づくりをしていたのではないかと推測されています。
社名にもなっている「薄墨羊羹」は松山銘菓の1つ。羊羹の中に入っている白い豆が桜の花びらのように見えることから、当初は桜羊羹と呼ばれていましたが、幕末頃に「薄墨羊羹」へと改名されました。
千年前に天武天皇の皇后が湯治で道後に訪れた際に、西方寺で病気平癒を祈願。その後全快され、天武天皇からお礼に名桜「薄墨桜」を賜ったという話に因んで名付けられたと言われています。
社長の中野さん曰く、地元の人たちが愛媛県外へ出かける際にお土産として購入される場合がほとんどで、リピーターさんも多いのだとか。松山の人々に愛される薄墨羊羹ですが、近年は松山市内の学生との商品開発や、アートギャラリーとのコラボレーション羊羹の販売など、新たな試みにも取り組んでいます。
2013年には、餡子をもっと気軽に日々の暮らしの中で楽しんでほしい。という思いから「餡ファン」という新たなスイーツブランドを立ち上げ。一口サイズの生チョコのような口溶けが魅力的な「ウスズミキューブ」など和菓子の新しい楽しみ方を発信しています。
また、2021年には、愛媛県東温市の洋菓子店「ベティ・クロッカーズ」から洋菓子の製造・販売事業を譲受。薄墨羊羹の餡とベティ・クロッカーズの生クリームを合わせた「餡ロールケーキ」を販売するなど、双方のブランドの良さを活かしたお菓子づくりを始めています。
「面白い和菓子屋さんだな、と思っていただけたら嬉しいですし、たくさんの繋がりをつくっていきたいと思っています。 今いるお客さまが求めている味を守っていきながら、あらゆることに臆せず飛び込んでいきたいですね」と話す中野さん。これからも和菓子を未来へ繋げていくため、薄墨羊羹の挑戦は続きます。
株式会社薄墨羊羹の社長を務めている中野恵太さん。和菓子屋の息子さんとして育ち、会社を継ぐことにも悪いイメージは持っていなかったと話します。
大学卒業後、薄墨羊羹に正社員として入社し、製造や商品企画に携わった後に専務に就任。経営や売上など、企業運営に対して自身で考え始めた頃、中野さんを病魔が襲います。
「友達とバレーボールをしていたら膝の靭帯を切っちゃって。手術前の検査をしたら、心臓に病気があり、非常に危険な状態だと言われました。 あんまり大仰に言いたくはないんですけれど、やっぱり、いつも一生懸命頑張ってくれている社員さんとか、いろんな人に対して感謝の気持ちを強く持つようになりましたね」
無事に手術は成功し、職場に復帰。新スイーツブランド「餡ファン」を立ち上げた後、35歳の若さで薄墨羊羹の8代目社長に就任しました。
社長に就任後、印象的だった出来事について聞くと、商品の自主回収をしたこと。 と意外な答えが。6年前に商品の袋に小さな穴が空いている可能性が浮上し、対象の商品を全て回収、返金対応をしたことがありました。
「商品を全部引いた時にバイヤーさんから、『対策を取り次第、早く戻してくださいね。薄墨羊羹さんはうちにとってなくてはならない商品なので』と言っていただいて。 大変な時期だったというのもあるんですけど、それがすごい心に染みまして。ちょっと泣いてしまうほどに、嬉しかったのを覚えていますね」
「社長として孤独を感じることもありますが、そういった大変なときも社員さんが支えてくれたり、『この会社に入って良かった』と言ってくれたり…社長をやっていて良かったなと思います」
謙虚に、社員の方々への感謝を口にする中野さん。長い年月の間に育まれた深い信頼関係が、松山銘菓の今を支えています。
松山で愛され続ける薄墨羊羹。今回、日本コッソリ良品店がお届けするのは、そんな薄墨羊羹の魅力が詰まった良品店だけのオリジナルギフトセットです。
愛媛県の県庁所在地、松山市。約40年前から「いで湯と城と文学のまち」というキャッチフレーズを掲げ、たくさんの観光客を迎えています。
3000年もの歴史を持つことから日本三古湯の1つに数えられ、薄墨羊羹の名前のきっかけにもなった「道後温泉」。
現在、道後温泉本館が老朽化に伴い、修理工事を実施中(営業も続けています)。現代美術家の大竹伸朗さんによる作品がプリントされたテントで本館を覆うなど、アート作品を活用したプロモーションを展開しています。
1602年に加藤嘉明が松山平野の中心に築いた「松山城」
新たな城下町が整備されたことから、政治・経済の中心は道後から松山へと移り、その後、松平家による安定した治世から国学、儒学、能楽、俳諧など多くの学問と文化が花開きました。
やがてその土壌は正岡子規や高浜虚子など、多くの文人や俳人を輩出しました。夏目漱石の「坊っちゃん」、司馬遼太郎の「坂の上の雲」といった有名小説の舞台にもなっており、坊っちゃん列車や坂の上の雲ミュージアムといった観光スポットが松山を盛り上げています。
薄墨羊羹の楽しみ方について中野さんに聞いてみると、「自分も人から聞いた話なんですけど、薄墨羊羹でクリームチーズを挟んで食べるとおいしいらしくて。 ワインに合うみたいなんです」とコッソリ。和と洋の不思議なマリーアジュ、ぜひ試してみてはいかがでしょうか?
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